2018 / We are tomatoes
3幅畫,一個影像作品,一個裝置藝術
台灣對於社會的各種人總是會發明一些嶄新的名詞來進行形容與代稱(就像英文的Millennials)和分類,最為知名的莫過於月光族 與草莓族,有鑑於此我開始思考若我要給人群一個代稱,那會是甚麼?我認為人類,每個人都有血有肉,很獨特,我們隸屬於人類這個大群體,但想要融入社會,想要讀書,想要被認同,就是會被分類,這令我想到可以用番茄來形容,我在日本的超市看到形形色色、不同包裝的番茄,我覺得就好像那些被等待挑選的人們,我們期待被條件好的人喜歡,被大公司挑選,我們被歸類,露出那些可能會被喜歡的特徵,我們開心能被喜歡,我們緊張會被喜歡,我們難過可能落選。 而我們一旦被挑選了那又如何呢!所謂的番茄,期待被吃掉嗎,我們究竟是被消費者吃乾抹淨,還是被無謂浪費,這就是我們想要的嗎?這組作品,可以從不同面向解讀,可以單看這組滑稽附有人臉的幾袋番茄,單看愚蠢又噁心的影片,你也可以想像除了那些被包裝好的番茄之外,是否還有本來就長得奇形怪狀不討好的番茄甚至連包裝都沒有價值就被丟掉了,而在架上被人選剩也沒有賣出就這樣腐爛的番茄也是很多吧。希望你是看完我的作品,有了一些想像再來看這篇文章,而我的這些文字,我希望你都忘掉,不論你是想要確認你的想像還是單純想要了解這件作品,你都是對的。 我的想法是:作品一旦出現,那就不再屬與我了 你看到作品的那刻,我的作品便存在,而與你建立了你若不想分享 便無人知曉的關係
願你能享受這層關係。而能在最後的作品[we are tomotoes-photobooth]享受這玩笑。
台湾のニュースは、新しい世代(英語で例をあげれば Millennials)のことを新しい名詞で呼びま す。この名詞の中で一番有名なのは月光族と苺族です。ここから私は考え始めました。私なら、 人々を何と呼ぶか。人間は皆、血があり肉があり、ユニークです。私達は人間という大きなグ ループであるけれども、社会と関わりたい時、名門校に入りたい時、認められたい時、更に分類 されないといけない。
ここから人をトマトに例える事を思いつきました。私は日本のスーパーで色々種類の違うパッ クのトマトを見て、まるで選ばれるのを待つ人を見ているようでした。私達は条件がいい人に好 かれる事を、大手企業に選べられる事を期待している。社会は簡単に私達を分類する。このため に私達は好かれるように振舞う。私達は好かれるかどうか緊張する。そして喜ぶ。選ばれないこ とを悲しむ。 結局、選ばれるって何?トマトは食べられたいの?私達はただ食べ尽くされるか、或いは、無駄 にされるかではないの?これは私達が望むこと?
このシリーズの作品はどんな目線から見ても良いです。ただ顔がある滑稽なパックトマトを見 るか、愚鈍で気持ち悪い映像を見るか。或いはパックトマト以外の、包装する価値もなくて、そ のまま廃棄される沢山の奇形のトマトや、スーパーの棚で選ばれないで、腐りただれたトマトも 多いということに気づくかもしれない。私の作品を見ながら、自分の考えを持って、この文章を 読んでいただきたい。そして、読んだ文章の全部を忘れよう。 あなたは自分の考えを確信するかもしれない。単に作品について知りたいだけかもしれない。あ なたは正しい。なぜなら、完成した作品はもう私の思考と関係がないから。作品を見る瞬間、あ なたは作品と関係を築いた、あなたが言わないと誰も知らない関係。あなたがこの関係を楽しむ ことは私が作品を作る意義だと思っています。最後の作品[we are tomatoes-photobooth]で楽しく 記念写真を撮ってください。
1 we are tomotoes-S /380x460 mm /アクリル、キャンバス、線
2 we are tomotoes-M / 530×455mm /アクリル、キャンバス、不織布
3 we are tomotoes-L /727×606 mm /アクリル、キャンバス、動眼
4 we are tomotoes-film / 1920x1080px;15mins / 映像
5 we are tomotoes-photobooth / 950x1800mm / アクリル、和紙
台灣對於社會的各種人總是會發明一些嶄新的名詞來進行形容與代稱(就像英文的Millennials)和分類,最為知名的莫過於月光族 與草莓族,有鑑於此我開始思考若我要給人群一個代稱,那會是甚麼?我認為人類,每個人都有血有肉,很獨特,我們隸屬於人類這個大群體,但想要融入社會,想要讀書,想要被認同,就是會被分類,這令我想到可以用番茄來形容,我在日本的超市看到形形色色、不同包裝的番茄,我覺得就好像那些被等待挑選的人們,我們期待被條件好的人喜歡,被大公司挑選,我們被歸類,露出那些可能會被喜歡的特徵,我們開心能被喜歡,我們緊張會被喜歡,我們難過可能落選。 而我們一旦被挑選了那又如何呢!所謂的番茄,期待被吃掉嗎,我們究竟是被消費者吃乾抹淨,還是被無謂浪費,這就是我們想要的嗎?這組作品,可以從不同面向解讀,可以單看這組滑稽附有人臉的幾袋番茄,單看愚蠢又噁心的影片,你也可以想像除了那些被包裝好的番茄之外,是否還有本來就長得奇形怪狀不討好的番茄甚至連包裝都沒有價值就被丟掉了,而在架上被人選剩也沒有賣出就這樣腐爛的番茄也是很多吧。希望你是看完我的作品,有了一些想像再來看這篇文章,而我的這些文字,我希望你都忘掉,不論你是想要確認你的想像還是單純想要了解這件作品,你都是對的。 我的想法是:作品一旦出現,那就不再屬與我了 你看到作品的那刻,我的作品便存在,而與你建立了你若不想分享 便無人知曉的關係
願你能享受這層關係。而能在最後的作品[we are tomotoes-photobooth]享受這玩笑。
台湾のニュースは、新しい世代(英語で例をあげれば Millennials)のことを新しい名詞で呼びま す。この名詞の中で一番有名なのは月光族と苺族です。ここから私は考え始めました。私なら、 人々を何と呼ぶか。人間は皆、血があり肉があり、ユニークです。私達は人間という大きなグ ループであるけれども、社会と関わりたい時、名門校に入りたい時、認められたい時、更に分類 されないといけない。
ここから人をトマトに例える事を思いつきました。私は日本のスーパーで色々種類の違うパッ クのトマトを見て、まるで選ばれるのを待つ人を見ているようでした。私達は条件がいい人に好 かれる事を、大手企業に選べられる事を期待している。社会は簡単に私達を分類する。このため に私達は好かれるように振舞う。私達は好かれるかどうか緊張する。そして喜ぶ。選ばれないこ とを悲しむ。 結局、選ばれるって何?トマトは食べられたいの?私達はただ食べ尽くされるか、或いは、無駄 にされるかではないの?これは私達が望むこと?
このシリーズの作品はどんな目線から見ても良いです。ただ顔がある滑稽なパックトマトを見 るか、愚鈍で気持ち悪い映像を見るか。或いはパックトマト以外の、包装する価値もなくて、そ のまま廃棄される沢山の奇形のトマトや、スーパーの棚で選ばれないで、腐りただれたトマトも 多いということに気づくかもしれない。私の作品を見ながら、自分の考えを持って、この文章を 読んでいただきたい。そして、読んだ文章の全部を忘れよう。 あなたは自分の考えを確信するかもしれない。単に作品について知りたいだけかもしれない。あ なたは正しい。なぜなら、完成した作品はもう私の思考と関係がないから。作品を見る瞬間、あ なたは作品と関係を築いた、あなたが言わないと誰も知らない関係。あなたがこの関係を楽しむ ことは私が作品を作る意義だと思っています。最後の作品[we are tomatoes-photobooth]で楽しく 記念写真を撮ってください。
1 we are tomotoes-S /380x460 mm /アクリル、キャンバス、線
2 we are tomotoes-M / 530×455mm /アクリル、キャンバス、不織布
3 we are tomotoes-L /727×606 mm /アクリル、キャンバス、動眼
4 we are tomotoes-film / 1920x1080px;15mins / 映像
5 we are tomotoes-photobooth / 950x1800mm / アクリル、和紙